NHKの朝ドラやテレビドラマ、CMなどで大活躍中の紺野まひる(こんの まひる)さんは、実は元宝塚歌劇団の雪組トップ娘役さんです。
それを案外ご存知ない人も多いようで、「あの人、元宝塚なの?!」と驚かれるとか。
それもそのはず、紺野まひるさんは1作品のみの在任期間のトップ娘役でした。
なぜ1公演のみだったのか、それまでの活躍と共に、紺野まひるさんの宝塚時代について詳しくお伝えしていきます。
紺野まひる:宝塚同期は誰??
紺野まひるさんは、宝塚歌劇団82期生になります。初舞台は1996年の月組公演『CAN-CAN/マンハッタン不夜城』です。
同期生にはこのようなメンバーが揃っています。
- 蘭寿とむ(らんじゅ とむ)/元花組トップスター
- 壮 一帆(そう かずほ)/元雪組トップスター
- 遼河はるひ(りょうが はるひ)/元月組男役スター
- 美風舞良(みかぜ まいら)/花組組長
特に遼河はるひさんはテレビバラエティーでの大活躍がめざましく、「あの遼河さんの同期生!」と思う方も少なくないでしょう。
82期は「史上最高の受験倍率だった期」として有名です。
82期生の受験年は1994年、倍率は48.2倍にのぼりました。受験人数は総勢1,930人!その中から合格者はたった40名です!!
少子化の影響もあり、今では11~12倍となっていますので、82期生の競争の激しさがよく分かります。
その理由として、「平成のベルばらブーム」が考えられます。
宝塚といえばベルばら。そのようなイメージがいまだに世間にはあると思います。
涼風真世(すずかぜ まよ)さんがオスカルを、天海祐希(あまみ ゆうき)さんがアンドレを演じた「平成のベルばら」が1989年に上演されて一大ブームとなりました。
1989年は、82期生たちが小学校高学年~中学生にあたり、ちょうどエンタメに興味が出てくる年頃と言えます。
そのベルばらを観て宝塚の大ファンになり、「私もここに入りたい!」と夢を見た少女たちが大発生した、と考えられます。
しかし、受験倍率が高かったからといってトップスターが大勢輩出されたり、路線スターがたくさん誕生した、というわけではないのが宝塚の面白いところと言えます。
82期生はトップスターが2人、トップ娘役が紺野さん1人。平均的な人数と言っていいところではないでしょうか。
ちなみに、紺野まひるさんと遼河さんは受験スクールが同じだったこともあり、大の仲良しだそうです(*´▽`*)
紺野まひる:年齢、本名、身長は?芸名や愛称(あだ名)の由来は?
紺野まひるさんの生年月日は1977年4月12日。本名は濱田里佳子さんです。
大阪府豊中市(宝塚市の隣)のご出身なので、幼少期から宝塚は身近な存在だったはずですが、それほど興味が無かったとか。
そんな中、中2のときに友人から『ベルサイユのばら』を観ようと誘われ、大ファンに。
4歳からバレエを習っていた背景もあり、「こんなキラキラの舞台でバレエを踊りたい!」と憧れるようになったそうです。
そして受験スクールに通い、高校1年生修了時に宝塚音楽学校へ入学します。
中高一貫の私立学校に通っていたそうですし、4歳からバレエを習っていたということもあり、「タカラジェンヌにはお金持ちのお嬢さんが多い」という噂はあながち嘘ではないと言えますね(^^;)
身長は160㎝ですので、娘役としてちょうどいい高さです。
芸名の「紺野」は「紺色が好きだから」という理由で(笑)、「まひる」は名付け辞典でお父様が考えてくださったそう。
そのお父様は、紺野まひるさんが宝塚時代に亡くなっているそうです。ずいぶん悲しまれたのではないでしょうか。
愛称はそのまま「まひる」。「まひるちゃん」と呼んでいるファンがほとんどではないでしょうか。
紺野まひる:宝塚時代の代表作やエピソードは?歌唱力・ダンス・芝居の実力は?
「バレエが踊りたい!」と宝塚に入った紺野まひるさんですが、頭角を現したのはお芝居でした。
なんと入団1年目でいきなり新人公演ヒロインに大抜擢!
入団早々に新人公演ヒロインに抜擢される若手娘役は少なくないですが、入団1年目というのはかなりの快挙です。
その後も新人公演でヒロインを演じ続け、なんと怒涛の7作品!!
新人公演ヒロインは、一般的には多くても3~4回。ポテンシャルを見るにはそれくらいで充分と思えますが、なぜか7回も!
しかも、新人公演ヒロインをやりながらも、既に別箱公演ではヒロインを演じ続けていました。
紺野まひるさんの主な活躍をまとめると……
- 新人公演ヒロイン:7回
- 別箱ヒロイン:4回
- エトワール:3回
ここまでの活躍を見せる娘役はそうそういません。当時、紺野まひるさん以外にも雪組内に実力や人気のある娘役さんは当然いたはずですが……。
紺野まひるさんが「独り占め」状態だったのは、どんな理由があったのでしょうか。
エトワールを3度も務めていることからも分かるように、歌唱力も抜群に高かった紺野まひるさん。
当時、「天才娘役が現れた」と大注目を浴びていた花總まり(はなふさ まり)さんの再来として、劇団は育てていくつもりだったのかもしれませんね。
ダンスも、4歳からのバレエ経験で下地はありますし、歌もお芝居もとにかく隙が無く、今も映像で大活躍できるほどの美貌の持ち主でもあります。
その中でも、「これは他の娘役さんではなかなかできないな」と唸らされた作品は『殉情』でしょうか。トップ娘役として最初の作品でした。
宝塚の世界観では表現しにくい、DVを行う盲目の女性、春琴(しゅんきん)という役どころ。ヒステリックに主人公の佐助を殴ったり、今で言う「モラハラ」をしつづけます。
宝塚の娘役さんがトップスター様に対して暴力を振るうなんて、とんでもない設定です(^^;)
しかし、トップスターの絵麻緒ゆう(えまお ゆう)さんも紺野まひるさんも、本当に芝居巧者なので、見事に宝塚らしく、愛の世界を描き切っていました。
ショッキングな物語ではありますが、2人の好演ぶりが大反響を呼び、2008年に宙組で、2022年に花組で再演され続けています。
盲目であることから様々なハンデや深いコンプレックスを抱えているからこそ、素直になれず、ヒステリーを起こしてしまう春琴。紺野まひるさんならではの、役作りが素晴らしかったです。
紺野まひる:退団理由はなぜ?いつ?えまおゆうの相手役で雪組トップ娘役
雪組で大切に育てられ、新進気鋭の娘役として無双状態だった紺野まひるさん。
「間違いなくトップ娘役になる」というのはほとんどのファンが確信していました。
もちろんその予想通りにトップ娘役に就任するのですが、ここでまさかの事態が。
これだけ華々しい活躍を見せ、実力も人気も申し分なかった紺野まひるさんは「1作品のみで退団」と発表します。
つまり、「トップお披露目公演=退団公演」というわけです。作品は2002年『追憶のバルセロナ/ON THE 5th』です。
当時、宝塚は一大改革を推進している激動の時代でした。各組(全5組)で活躍していた2番手スター、3番手スターを全員専科に異動させ、通称「新専科」なるものが発足。
それまでは、3番手スターになれば次は2番手スター、2番手に手が届けば基本的にはトップスターへの確約とみなされていました。
しかし、この新専科制度の発足で「番手スターでもトップスターへの確約は保証されない」ことが暗に示唆されます。
しかも、「トップにはさせるけど1作品で辞めてもらいたい」と条件付きでトップ就任を打診されるようなこともあったそうで……。
紺野まひるさんが相手役を務めた、絵麻緒ゆうさんがまさにそうだったようです。退団会見で「退団は劇団からの指示」だったことを明かしてファンは騒然となりました。
あれだけエリートコースでトップ街道を進んできた紺野まひるさんが、たった1作品で退団を選んだのも、「絵麻緒さんと共に」という思いからのような気がします。
確かに、「1作品で退団を条件に」と言われた絵麻緒さんを見送り、自分だけ残るという選択もしづらいですよね。
当時、紺野まひるさんは入団7年目なので、まだまだ現役タカラジェンヌとして活躍できる年齢でした。
しかも、あれだけ大切に育てられてきて、歌もダンスも芝居もトップクラス。そんな人材をたった1作で失うのは、劇団にとっても大きな損失だったでしょう。
「エンタメの世界はシビア」とはいえ、あの施策はファンから大きな反感を買うことになりました。
あれから20年以上が経った今、「新専科制度」はほぼ無くなったように見受けられます。
紺野まひる:夫はパイロット?結婚はいつ?子どもは何人?なれそめは?
宝塚を電撃退団したあと、すぐに芸能活動を開始した紺野まひるさん。
あの演技力と美貌なら、映像の世界でも充分にやっていけることは明らかでした。
そしてその5年後、結婚を発表!お相手は中学時代の同級生で、なんとJALのパイロット!神戸大学卒!中学当時からイケメンで人気者だったそうな。
しかし、宝塚であまりに素敵な男役さんたちを見続けてきたせいで、紺野まひるさんは「本物の男性を全くかっこいいと思えなくなってしまった」と、テレビ番組で話していました。
それは確かに宝塚ファンにもよく起こる現象です(笑)
なので、ご主人のことも「かっこいいと思ったことは一度もない」とバッサリ!
紺野まひるさんが宝塚を退団した直後、同窓会か何かで再会したことがなれそめのようです。
ご主人は、紺野まひるさんが通っていた私学「雲雀丘学園」の同級生ということになりますね。結婚当時の年齢は31歳です。
どこかのやり手社長や御曹司や芸能人ではなく、同級生ということがなんとなくほっこりしますよね(#^.^#)
お互いに高スペックの美男美女ということで「羨ましい~」と思ってしまいますが、実は人知れず乗り越えてきた試練もあったようです。
31歳で結婚し、長女を出産したのが35歳。
インタビューで「卵子も老化していく、ということをもっと早く知るべきだった」と話していますので、もしかしたらしばらく妊活をしていたのかもしれません。
出産の数年前に大きな子宮筋腫を切除する手術も受けていたようです。
次女を出産した時は38歳ですので、高齢出産で無事に産まれてくれるかどうか、とても心配だった、と。
しかも次女のほうに髄膜炎という病気が見つかってしまったとか。
今でこそお2人とも元気に育ってくれているようですが、子供たちの健康を守る母として食事などにも気をつけているそうです。
紺野まひる:朝ドラ、ラヴィットなどテレビ出演多い!事務所はどこ?
紺野まひるさんの認知度が一気に上がったのは、やはり2003年の朝ドラ『てるてる家族』ではないでしょうか。
4人姉妹の物語で、ヒロインの末っ子役(石原さとみ)が宝塚音楽学校に合格するエピソードも盛り込まれているので、宝塚ファンも興味深く見ていました。
紺野まひるさんが演じたのは長女の春子役。
宝塚ファンにとっては「まひるちゃんが朝ドラに!!!」でしたが、一般視聴者は「この女優さん、誰やろ?」状態だったはずです。
しかし、そこでの名演技・美貌が大きく評価され、のちの仕事にもどんどん繋がっていきます。
今では「朝ドラの常連」と言ってもいいほど、引っ張りだこ状態。
所属したプロダクションがフラームという大手だったこともあり、大きな仕事がどんどん決まっていきました。
フラームは有村架純さんや戸田恵梨香さん、吉岡里帆さんなど実力派美人女優が大勢在籍する事務所です。
人気ドラマや映画、CM、舞台など、宝塚の下級生時代の無双を彷彿とさせるような大活躍ぶり。やっぱりまひるちゃんはスゴイ!!
そして「踊る!さんま御殿!!」や「プレバト!!」などのバラエティー番組にも呼ばれることが紺野まひるさんのすごいところ。
「ラヴィット!」にゲスト出演した際には、一緒に出演した遼河はるひさんとともに何度も爆笑を誘い、視聴者から「紺野まひる、バラエティー適応能力が高すぎる」と驚かれていました(笑)
やはりそこは大阪人の血がそうさせるのでしょうか!
宝塚時代も、退団後も、苦労を乗り越えながらもそれを感じさせずに太陽のような笑顔を見せてくれる紺野まひるさん。
今後も日本を代表する女優として、「無双」状態が続いていくのでしょう。


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