宝塚歌劇団の宙組初代トップスター、姿月あさと(しづき あさと)さん。
地声で4オクターブという驚異的な音域を持ち、演技もダンスもレベルが高く、宙組初代トップに相応しい、伝説的スターでした。
しかし、ご本人は意外にもトップ就任を辞退していた?!
退団後のオドロキのエピソードもあわせて、姿月あさとさんについて詳細にお伝えしていきたいと思います!
姿月あさと:宝塚何期?同期は誰?年齢、本名、身長、芸名や愛称(あだ名)の由来は?
姿月あさとさんは、宝塚歌劇団73期生になります。
初舞台は1987年の雪組公演『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら』。入団当時はスターがひしめく花組に配属されました。
73期からは、なんと4人ものトップスターが輩出されています!
- 匠ひびき(たくみ ひびき)/元花組トップスター
- 天海祐希(あまみ ゆうき)/元月組トップスター
- 絵麻緒ゆう(えまお ゆう)/元雪組トップスター
中でも、やっぱり「あの天海さんと同期生!!」という部分に目が行きますよね。
逆に、あまりに天海さんが早くにトップ就任したので、「え?!同期生なの?!」と思う人もいるかもしれません。
姿月あさとさんの本名は、新保順子さん。ご結婚されて、今は赤坂順子さんが戸籍上のお名前です。
愛称は本名から「ずんこ」さんです。
生年月日は1970年3月14日で、身長は172センチ。
芸名の由来に関するエピソードは披露されていないようですね。
大阪出身ということで、割と宝塚が身近にあったようです。
お母さまと一緒に何度か観劇をしているうちに「この舞台に立ちたい!」と思い、中学3年生で初受験、一発合格!
もともとバレエを習っていたそうですが、幼少期から背が高かったのでバレリーナとしては不利でした。
そこで「男役なら!」とひらめいたのでしょうね。
姿月あさと:天海祐希との仲や伝説・エピソードは?
さきほどお伝えしたように、「同期生に天海祐希!」というのは大きなトピックスです。
1993年に姿月あさとさんは、花組から月組に組替えになり、お2人は同じ月組所属に。
ほどなく天海祐希さんは月組トップスター就任し、姿月あさとさんは新人公演中という珍しい状況になります。
お芝居やショーで天海祐希さんが演じている役を、新人公演で姿月あさとさんが演じるという構図です。
つまり、同期生なのに姿月あさとさんが本役の天海さんに教えを乞うということです。
「トップスターと新人公演主演が同期生」という構図は、姿月あさとさんと天海さんくらいでしょうね。
さぞかしどちらもやりづらかったのでは…?なんて思ってしまいますが、やはり一流のスターは全く違います。
月組に組替えが決まった姿月あさとさんに、天海さんは電話で「楽しみに待ってるから!」と伝えたそう。
そして姿月あさとさんも天海さんのことを「とても尊敬している」と言っています。
私は当時、宝塚を特集した番組でお2人が居残りしてダンスの自主稽古に励むというシーンを見たことがあります。
そこでは、ダンスが得意な姿月さんが天海さんにアドバイスしながら一緒に踊るお姿が。
戦友、同士、という言葉が思い浮かびました。
ちなみに、お2人にはこんな共通点が。
宝塚では楽屋の入り待ち・出待ちというのが許可されていて、各スターはその際にファンクラブ会員に向けてお話をしたり、手紙を直接受け取ったりします。
しかし、姿月あさとさんと天海さんに関しては、そのサービスは一切無し!(^^;)
誰とも目も合わさず、足早に楽屋に消えていき、帰りも足早に送迎車に乗り込んでしまいます。
きっと彼女たちなりの事情などもあったのでしょうが、その辺の考え方もお2人は似ていたようです。
姿月あさとは宙組の初代トップスター!何度も固辞していた?!
姿月あさとさんは「トップスター」という立場に全く興味の無い人でした。
宝塚音楽学校の頃に「将来の夢は?」とインタビューされても、「特にない」と答えて相手を困らせていたそうです(笑)
姿月あさとさんいわく、「舞台の端でも、真ん中でも、やることは変わらない」というスタンスだそうです。職人肌なのでしょうね。
自分が何番手であろうと、番手外であろうと、「役を生きる」ことには何の違いもないから、肩書になど興味が無かったようです。
宙組のトップスターに就任してほしい、という劇団からの要請にも、何度も「いやです」と言い続けたそうな。
なんなら、「どうしてもトップにするというなら退団する」とまで言ったそうで!
姿月あさとさんは2番手時代がほとんどなかったので、まだ自信が追いついていなかった部分があったのでしょうか。
それでも、逃げるように辞めてしまうのと、「やりきった!」という気持ちで辞めるのでは全然違うので、どうせなら後者で辞めよう、とついに宙組初代トップスターを受け入れたということです。
しかし、実力もビジュアルも群を抜いていた姿月あさとさんが「初代トップスター」というのは、誰もが納得でした。
若い組に相応しく、「新世代」と言えるような高身長の現代的な容姿のスターが揃い踏みとなりました。
ちなみに「宙組」という組名は、新組発足の式典で書家の望月美佐さんが大きな筆で「宙」と揮毫(きごう)するパフォーマンスで発表となりました。
劇団内でもトップシークレットだったんですね。
壇上に並んで横から見ていた姿月さんはどんな文字かはっきりわからず、「寅組」かな?と思った、というエピソードでたびたび笑いを取っています。
「上に点がついたので『夢』や『虹』ではない、と。『寅(とら)』? と思いました。『宙』を『そら』と読むとも思わず。寅組じゃなくてよかった」
出典:スポーツ報知
寅組。大阪っぽい(笑)
姿月あさと:歌がうまい!ダンス・芝居の実力は?
意外にも、姿月あさとさんは初舞台直後に配属された花組で新人公演の主演をしていません。
入団7年目に月組に来てから、ついに新人公演主演を務めることができたので、「遅咲き」と言える部類のスターでした。
今でこそ「姿月あさと=圧倒的シンガー」という印象ですが、最初はダンスで頭角を現してきたと記憶しています。
幼少期からバレエを習っていた素養もありますし、身長の高さを活かしたダイナミックなダンスに目が集まったのでしょう。
そして月組に来てついに掴んだ新人公演で「歌える子!!」という事実が判明し、そこから姿月あさとさんのシンガー人生が始まります。
深みがあって迫力のある低音は、台詞を操ることにも長けていて、演技力も次第にレベルアップしていきました。
歌はもちろん、ダンスにも芝居にも穴が無く、若々しくて可愛らしいお顔立ちに、男役に相応しい高身長。
65年ぶりに新しく誕生する組の初代トップスターとして、白羽の矢が立つのも当然かなと思います。
皮肉にも当のご本人は「いやです!!!」と逃げ回っていたわけですが(笑)
宝塚というのは、組ごとに挨拶の仕方や、楽屋やお稽古場でのルールなどが実は全く異なります。
宙組はまずはそこから作りはじめなければならなかったので、お披露目公演のお稽古と同時に組作りもゼロからのスタート。
ほとんどが「はじめまして」の中で、当時の組長さんと姿月あさとさんを中心に組を引っ張り、それはそれは本当に大変だったそうです。
姿月あさと:宙組トップ時代の代表作や相手役
1998年の香港公演というのが、宙組の実質のお披露目公演となりました。
姿月あさとさんの相手役には、当時雪組で既にトップ娘役となっていた、花總まり(はなふさ まり)さん。
背が高く、圧倒的な実力を誇る姿月・花總コンビは、本当に「宙組初代トップコンビ」として相応しい2人でした。
姿月あさとさんは宙組初代トップスターとなって丸2年という短期間で退団をされましたが、花總さんはその後、さらに6年トップ娘役として活躍されました。
お2人の代表作といえば、多くの人が『エリザベート』を挙げるでしょう。
確かに、姿月あさとさんの驚異の歌唱力と、花總さんの美貌と貫禄は、歴代の『エリザベート』の中でもすごい存在感を放っています。
しかし、私はあえてお2人の代表作は『激情』を推したいと思います!
「可憐な娘役」としての代表格だった花總さんが、男を振り回す奔放なカルメン。
そのカルメンと出会ってしまったがために破滅していく真面目なホセが、姿月あさとさん。
宝塚の世界観とは一見真逆である男女の役割を、お2人の高い表現力で見事な作品に仕上げてくれました。
その後、『激情』は何度も再演を重ねるほどの人気作となりましたので、やはり初演のお2人の演技が素晴らしかったゆえ、ではないでしょうか。
姿月あさと:退団や結婚はいつ?夫はどんな人?事務所は?
姿月あさとさんは2年間という短い在任期間でした。
退団作品は、2000年『砂漠の黒薔薇/GLORIOUS!』。
ちょうどミレニアムという時代の境目でもありましたし、「初代としての務めはやりきった」と感じられたのでしょう。
退団後は、宝塚OGとしては珍しく、シンガーという道を選びます。
『エリザベート』で歌の神髄や魅力に目覚め、歌をもっと追求してみたいと思ったからだそうです。
コンスタントにCDを発表し、コンサートもずっと精力的に行っています。
そして退団後の一大ニュースというのはやはり、ご結婚でしょうか!
2000年2月に退団し、2000年7月にご結婚されているので、きっと在団中にお付き合いを始めていたのだと推察します。
いわゆる「ビビビと来た」ようで、ご主人と会った時には結婚する予感があったそうですよ。
ご主人は、姿月あさとさんが香港に旅行に行った際に、現地でいろいろとサポートをしてくれた旅行会社の方です。
職業柄、転勤は当たり前。
姿月あさとさんもご主人の転勤先に帯同して、バリ島、オーストラリア、と数年間暮らします。
仕事があるときは飛行機で日本に帰ってくる、というスタイルになりました。
友達も知り合いもいない、言葉も分からない場所で暮らすのはさぞかし…と思いきや、プライベートを守りたいタイプの姿月あさとさんには海外暮らしは合っていたそうです(^_^)
退団後すぐに海外移住もあってか、特に芸能プロダクションには所属しておらず、現在もウェイバックマシンというレコード会社所属になっているようです。
姿月あさと:兄やコンサート・舞台にかける想い、現在の活躍と宙組レジェンドの誇り
また、退団後かなり経ってからご公表されましたが、実のお兄さんを早くに亡くされていたそうです。
そのことから、「人生はいつ終わってしまうか分からない」という気持ちを抱くようになり、いつもコンサートは「自分の生前葬」のような気持ちで臨んでいるそうな。
「あのコンサートが最後だった」となってもいいように、悔いの無いよう、ということなのでしょう。
宙組の初代トップスターということで、宙組のアニバーサリー公演にもたくさん出演されていたりもします。
2023年3月に行われた宙組生誕25周年記念イベントも、姿月あさとさんが中心となって演出などにも携わっていたようですよ。
ご本人は「他4組の初代トップスター達は既にご他界されているけど、宙組だけは私が『初代』と言えることに誇りを持っている」と仰っています。
はじめはあんなに嫌がっていた「トップスター」という肩書も、今はこうして受け入れることができたということでしょう。
現役の宙組生の目標として、憧れとして、宙組のレジェンドとして、まだまだ舞台に立ち続けていてほしいですね。
姿月あさと:声が出てない?しゃがれ声?
ところで、近年「あまり声が出ていない」「声がかれた」「しゃがれ声」という感想も見受けられるようです。
確かにトーク番組などにご出演の話し声も、ささやくようなかすれ声?感じます。
もともとパワフルな地声が得意音域だった姿月あさとさん。女性ならではの裏声を出すには少し難しい喉の使い方をしていたのかもしれません、
実際に舞台で歌声を聞いてみると、現役の頃の声とは違って聞こえます。
でも、かすれた声もセクシーで大人っぽいと感じました。逆に、高音で歌い上げる裏声は逆にパワーアップ。
どこまでも突き抜けて行くんだと思うぐらい伸びやかでパンチがあって、「おー!かっこいい!」と鳥肌が立ちました。
ご自身も「歌える限りは歌いたい」とおっしゃっていますし、舞台女優ではなく「シンガー」という道を選んだ姿月あさとさん。
これからも自分の喉との向き合い方もきっとたくさん研究されて、ファンに求められる限りは歌い続けてくれるでしょう。
まとめ♪姿月あさと:宝塚何期?天海祐希との仲や伝説!退団や結婚はいつ?声が出ない?
姿月あさとさんは、宝塚歌劇団の宙組初代トップスターです。
男役に恵まれた体格、地声で4オクターブの音域を持つ驚異的な歌唱力と、演技力やダンススキルの高いスターでした。
本名は赤坂(旧姓:新保)順子で愛称は「ずんこ」。生年月日は1970年3月14日で、身長は172センチ。 大阪出身で身近な宝塚に舞台に立つ夢を抱き、中学3年生で音楽学校合格。
元・月組トップ天海祐希さんとは同期で親友。天海さんがトップスターの時に新人公演主演を務めるなどのめずらしい事態にもなりました。
在団中は楽屋入り待ちするファンへのサービスはしなかったことでも有名でした。
姿月あさとはトップスター就任を固辞していましたが、最終的に初代トップスターとなりました。相手役は花總まりさんです。代表作には『激情』や『エリザベート』など。
退団後すぐに旅行会社勤務の男性と結婚。海外で暮らしながらシンガーとして音楽活動を続けていました。
現在は芸能プロダクションには所属せず、レコード会社に所属し、コンサートや舞台に積極的に参加したり、CDリリースを行っています。
お兄様が早く亡くなったこともあり、コンサートを大切にし、生前葬のような気持ちで臨んでいるそうです。
声が出にくくなっているという指摘もありますが、地声はハスキーでセクシーに、裏声は伸びやかになっていると感じます。
宙組のレジェンドとしての存在感を示しています。
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