宝塚歌劇団 宙組・元トップ娘役の、陽月 華(ひづき はな)さん。
今も多くのドラマ、映画、舞台に精力的に出演を続け、実力派美人女優として大活躍していらっしゃいます。
宝塚時代も美人娘役として活躍しましたが、トップ時代には大きな怪我に悩まされ、エリート娘役ながら苦労の時代を過ごしました。
この美貌ながら意外なお人柄である部分や、天海祐希さんとの共通点なども含め、宝塚時代の陽月 華さんについて詳しくお伝えしていきます!
陽月華:結婚は?年齢、本名、身長、宝塚何期?同期は誰?芸名や愛称(あだ名)の由来は?
陽月 華さんは宝塚歌劇団86期生になります。
同期生はこんなメンバーが名を連ねます。
- 凰稀かなめ(おうき かなめ)/元宙組トップスター
- 緒月遠麻(おづき とおま)/元宙組男役スター
- 星条海斗(せいじょう かいと)/元専科男役
- 城咲あい(しろさき あい)/元月組娘役
- 憧花ゆりの(とうか ゆりの)/元月組組長
中でも緒月さんとは大の仲良しだそうで、2人で会えば常に爆笑、という関係性のようです(#^.^#)
確かにお2人の感性はとてもよく似ていて、ファン目線で見ていても「気が合うだろうな~」というのはよく分かります(笑)
陽月 華さんの生年月日は1980年9月2日、本名は 梅津洋子(うめづ ようこ)さん。
愛称は本名から「うめ」「よーこ」。ファンからは「うめちゃん」と呼ばれていることが多いですね。
身長は164センチですので、娘役としては大きいほうになりますね。
とてもお顔が小さく手足が細く長いので、ご本人が望めば男役さんでも活躍できたように思います。
実際、下級生時代に『ベルサイユのばら』でアンドレの幼少時代を演じた際には、「あの子、娘役なの?!かっこよすぎる!」と話題になっていました!
陽月 華さんがタカラジェンヌだった時代、私が楽屋口付近で見かけたタカラジェンヌの中でいちばん衝撃を受けたのが陽月 華さんでした( ゚Д゚)
たくさんのタカラジェンヌを見慣れていた私でも、あまりにお顔が小さくお美しく、手足が長い陽月 華さんを目の前で見た時のあの衝撃は忘れられません(笑)
ちなみに陽月 華さんは現在も独身のご様子。
仕事が充実している宝塚OGは「ご縁があれば」くらいに考えている人が多いので、陽月 華さんもそのタイプなのかもしれません。
陽月華は超エリート娘役!
陽月 華さんは2000年の花組公演『源氏物語 あさきゆめみし/ザ・ビューティーズ!』で初舞台を踏み、そのあと星組に配属されました。
「スターの登竜門」と言われている阪急電鉄の初詣ポスターモデルに起用され、「86期の中で劇団が今後推していく子」ということがファンに周知されます。
つまり、入団時からすでにエリートコースというわけです。
首席入団のタカラジェンヌが選ばれることも多い、この阪急ポスター。
陽月 華さんの成績は9番だったので、もちろん「優等生」ということもありますが、やはりその美貌で起用されたのでしょう。
更にその翌年、宝塚歌劇団のビッグスポンサーである池田銀行(現在は池田泉州銀行)のイメージガールにも起用されます。
もちろんスポンサー側としても、いずれトップになるであろうと見越したタカラジェンヌを選びに選んで指名しているはずです。
このように、入団当初から、劇団やスポンサーから爆推しされていたということで、もちろん新人公演や別箱公演のヒロインも連発した陽月 華さん。
一般的にはまず新人公演でヒロインを数作務めて実力を評価されてから、別箱公演のヒロインに指名されることが多いと言えます。
しかし、陽月 華さんの場合は、最初にヒロインとして抜擢されたのは新人公演ではなく、別箱公演『雨に唄えば』でした。
新人公演で実力を見るまでもないということだったのでしょうか!(@_@)
その後、新人公演でもヒロインを独占状態。合計5回もの新人公演ヒロインを務めました。
しかし、逆を言えば「まだ課題が残っているから場数を増やしてもっと成長してもらいたい」という思惑が劇団にあったという意味にも取れます。
その期待に見事に応え、新人公演卒業と共に宙組に組替えとなり、同時にトップ娘役就任となりました。
これだけ見ると苦労知らずの超エリートコースの娘役さんのように見えます。
しかし、ご本人にとっては試練をたくさん与えられて、血のにじむような努力を積み重ねてのトップ就任だったでしょう。
陽月華:相手役は誰?歌唱力・ダンス・芝居は?宝塚時代の代表作やエピソードは?
入団8年目で宙組のトップ娘役となった陽月 華さん。相手役は大和悠河(やまと ゆうが)さんです。
大和悠河(やまとゆうが)結婚は?実家がお金持ち?宝塚時代は男役!何期?年齢、身長は?相手役は誰?
陽月 華さんは星組育ちで、大和さんは月組→宙組という経歴。
「はじめまして」のコンビかと思いきや、2人は陽月 華さんが初ヒロインを務めた『雨に唄えば』(2003年)で共演経験がありました!
『雨に唄えば』は星組公演ですので、大和さんは「特別出演」というかたちで、組を越えての出演でした。
当時は「なんで大和さんが星組に?」と不思議に思ったものでした。
『雨に唄えば』は2003年、大和・陽月のトップ就任が2007年。
後から思えば、4年も前から「大和・陽月でトップコンビを」という構想が劇団にあり、2人の相性を見るために星組に大和さんを出演させた?!と驚きますね。
陽月 華さんの魅力と言えば、もちろんその美貌もひとつですが、ダイナミックなダンスも大きな魅力です。
長い手足も手伝って、陽月 華さんのダンスは男役さんに負けないほどの迫力がありました。
私が特に印象に残っている名場面は、星組時代に出演したショー『ロマンチカ宝塚’04 』。
陽月 華さんは、海中の洞窟に迷い込んでしまった女性をダンスで表現しました。
とても激しいダンスなのでほとんど裸足の状態で踊りますが、とにかく脚が長いので裸足でもまだ脚が長い!
その上、とんでもなく高いジャンプを見せたと思ったら、流れるようにしなやかな腕の使い方。
誰が見ても「スーパーダンサー!」と思う、圧倒的な見せ場でした。
陽月 華さんは、もともとバレエやダンスを習っていたわけではなく、宝塚音楽学校受験のために高校からバレエを習い始めたそう。
それなのにこれだけのレベルに到達したのは、生まれながらの才能と努力によるものですね。
歌があまりお得意ではないという課題もありましたが、このダンサーぶりと人間離れした美貌とスタイルで、トップ娘役就任は誰もが納得でした。
陽月華:退団はいつ?理由はケガで休演?
充分なほどに場数も踏み、入団8年目でトップ就任。早すぎず遅すぎず、ベストなタイミングでの順調な宝塚人生でした。
しかし、宙組でトップ娘役に就任してから、まさかの事態が襲います。
稽古中のアクシデントで、2008年の公演のほとんどを休演することになってしまいます。
休みなく毎日舞台に立ち続けているタカラジェンヌにとって怪我は隣り合わせではあります。
しかし、トップさんの骨折というのはかなり大きな事態です。
足以外の怪我なら、ダンス場面を減らしたり振付を変えたりして出演を続行することもできますが、足首の骨折となれば歩くこともできません。
泣く泣く「全日程休演」という結果になり、陽月 華さんもこの時期は本当に辛い日々を過ごされたことと想像します。
自分の代役を演じてくれる娘役さんたちにも申し訳ない気持ちでいっぱいだったことでしょう。
しかも、陽月 華さんの大きな魅力は、ダンス。
足首が完治したとしても、今までのように思い切り踊れるかどうか、というのは何とも言えない部分があったように思います。
それが原因なのかどうかは不明ですが、2008年9月に復帰をされ、翌年に退団となりました。
退団公演は2009年『薔薇に降る雨/Amour それは…』です。大和悠河さんと一緒に退団されました。
ご本人は退団理由を「何かが降りてきたから」とだけ語っています。
確かに退団を決める理由として「鐘が鳴った」「ピンときた」というのは宝塚OGがよく言っています。
しかし、あれだけのダンサーだった陽月 華さんが、退団後にダンスをほぼ封印している様子を見ると、やはり「満足なダンスが見せられない」という理由もあったように感じます。
それに加え、真面目で誠実な陽月 華さんの性格を思うと、大和さんと一緒に就任して一緒に卒業したい、という思いがあったのかもしれませんね。
陽月華:実家は下町!天海祐希との共通点?性格は?
陽月 華さんは、熱心な宝塚ファンだった叔母さまに影響され、「自分も受験生になってみたい!」と考えるようになったそうです。
しかし、お父様がそれに大反対!
なんと音楽学校の合格が決まった後も「お前なんか出て行け!!」と怒鳴られ、絶賛反抗期中だった陽月 華さんも「上等だよ!」と言わんばかりに寮に入ったそうな。
娘があの「タカラヅカ」に入るなんて、普通ならみんなに自慢したいような話です。
お父様が思い描いていた娘の生き方と急に違ってしまったので、すぐには受け入れることができなかったのでしょうね。
宝塚音楽学校に入ってから最初の帰省時も、お父様に会いづらくて家に帰れず、何時間も駅のベンチで時間を潰したとか……
しかし、意を決していざ帰ってみたらお父様はすっかり宝塚ファンになっていたそうな(笑)
宝塚というものがどんなところか、よく知らずに反対してしまっていたのでしょうね。
陽月 華さんが下町出身ということも多少は関係していたかもしれません。
東京都足立区出身の陽月 華さん。「宝塚おとめ」を隅から隅まで熟読するほどオタクな宝塚ファン時代を過ごします。
山の手エリアの出身で、幼少期からバレエなどを習いつづけ、アルバイトも経験したことがない、というタカラジェンヌは多くいます。
そんな中、陽月 華さんは野球場でビールの売り子をして観劇代を稼いでいた、本当に普通の女子高生でした。
周囲に宝塚を受験する子やタカラジェンヌになった人も少なく、お父様の理解が得づらかった部分があったのかもしれません。
下町出身の宝塚トップと言えば、上野出身の天海祐希(あまみ ゆうき)さんが浮かびます。
天海さんもさっぱりした性格のようにお見受けしますが、陽月 華さんもやはり近いものをお持ちのように見えます。
そして、これだけの美貌を持ちながらも、ご本人はかなり落ち込みやすいネガティブな性格のようです。
新人公演のヒロインを演じた際、自分の実力のなさにショックを受け、自宅で2日間泣き続けた、というエピソードも。
しかし、とても聡明な陽月 華さんなので、持ち前の思考力ですべての経験を自分の糧にして、今やとても素敵な女優さんになられました。
宝塚の月刊誌『歌劇』でも大人気のコラムを書いていますし、ツイッターでも独特の視点で独特の表現力を披露しています。
独自の感性や個性を大切にしている、表現力豊かな「才色兼備」な部分も、陽月 華さんの大きな魅力ですね。これも天海祐希さんと似ているところのように思います。
陽月華:事務所はどこ?舞台やテレビの出演は?
宝塚を退団後、陽月 華さんは株式会社コインというプロダクションに所属します。
今では、元花組の音 くり寿(おと くりす)さんも所属していますが、陽月 華さんが所属した時はまったく知られていない事務所でした。
無名の事務所で大丈夫?なんて思ったものでしたが(^^;)陽月 華さんの今のご活躍を見ていると、ちゃんと映像にも舞台にもアシストできる事務所のようです。
舞台にも年に1~2本のペースで出演されていますが、映像の仕事のほうが多いようですね。
有名なところでは『警視庁・捜査一課長』に長く出演されています。
CMでもお見かけすることがあるので、そのたびに宝塚ファンは「あ!うめちゃん!」と嬉しく思います(^_^)
やはりご本人もお歌にはあまり自信がないのか、今は歌とダンスを披露する場面はほとんどなく、お芝居を追求しているようです。
2023年に宝塚音楽学校が設立110周年を迎え、宝塚大劇場でその記念式典が行われました。何百人もの宝塚OGの中から、その司会を任されたのは陽月 華さん!
人前に出慣れているというのはOGみんな同じです。トークが得意なOGもたくさんいます。
その中から、陽月 華さんに!というのは、とても光栄なことだったのではないでしょうか。
同期生のインスタグラムでも、司会を立派に務めたうめちゃんを誇りに思う!という投稿を多く見かけました。
陽月 華さんの聡明で落ち着いたお人柄などを考慮し、白羽の矢が立ったのだろうと思います。
お芝居だけにとどまらず、こうして陽月 華さんにしかできない宝塚関連の仕事をこれからもっともっと増やしてくれたら嬉しいですね。
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