真琴つばさ(まこと つばさ)さんは、宝塚退団後もテレビや舞台でマルチに大活躍している女優さんです。
独特の口調や空気感が面白く、いまもタカラジェンヌ感ただようかっこいい女性ですよね。
宝塚時代もとても個性的で、しかし作品の中に入るとたちまちキザなかっこいい男役になる大人気スターでした。
真琴つばささんは一体どのように個性的なトップスターだったのか、その魅力をたっぷりお伝えしていきたいと思います!
真琴つばさ:結婚や家族については?
まずは、真琴つばささんの結婚について。
見るからにサバサバして「かっこいい女性」代表のような真琴つばささん。
真琴つばささんに似合う男性はもはや日本にはいないのか、宝塚を2001年に退団してからずっと独身を貫いています。
しかし、元トップスターは割と独身の方のほうが多いので、決して珍しいことではありません。
孤高の存在で闘ってきた元トップスター達は、自分のペースで気ままに生きていくのが楽なのかもしれませんね。
真琴つばささんのご家族はというと、品川区で化粧品店を営んでいたご両親がいらっしゃるそうです。
真琴つばささんは中高一貫校である実践女子学園の出身なので、教育熱心なご家庭のように思います。
そのようなお家柄のせいか、宝塚受験には反対だったようです。
しかし真琴つばささんは諦めず、自分でアルバイトをして貯めたお金でレッスン費用、入学金などを払ったとか!
宝塚受験・入学には莫大な費用がかかり、ゆえに「タカラジェンヌはお嬢様が多い」と言われます。
中学校から私立に通わせるようなご両親なので、真琴つばささんのご実家は決して「うちにそんなお金はない」というわけではなかったはずです。
宝塚と言えども芸能の道ですから、ご両親なりに心配があったのでしょう。
しかしトップになるような根性の持ち主は、両親の反対ぐらいで「じゃあやめよう」などとは思わないということですね。
真琴つばさ:何期?同期は誰?本名、年齢、身長は?芸名や愛称(あだ名)の由来は?
真琴つばささんは、宝塚歌劇団71期生になります。
71期生といえば、トップスターを4人も輩出した伝説の期です!
- 稔 幸(みのる こう)/元星組トップスター
- 轟 悠(とどろき ゆう)/元雪組トップスター、元宝塚歌劇団理事
- 愛華みれ(あいか みれ)/元花組トップスター
- 鮎ゆうき(あゆ ゆうき)/元雪組トップ娘役
しかも、真琴つばささんを含めて4人ともが全員同時期にトップスターを務めていた時期があるという更なる偉業!
トップスターを多く輩出した華やかな期は他にもありますが、全員同時期というのは後にも先にも71期のみではないでしょうか。
4人とも個性が全く違って、とても仲良しなのがまた「同期萌え」を誘います。
真琴つばささんの本名は、保川 真名美さん。愛称は本名から「マミ」さんです。
身長は168センチで、生年月日は1964年11月25日。
あ、あ、アラ還!!!!!
本当に本当にお美しいですよね……!!!
ちょっと不自然なアンチエイジングなど施さずに、とてもナチュラルに美しくご年齢を重ねているからまた素敵です!
宝塚を受験する前はバレーボール部に所属していたそうで、その当時からきっと女子校内人気はすごかったのではないでしょうか!
ちなみに実践女子学園といえばバレーボールの強豪校として、とても有名です。そしてその名の通り女性の社会的自立を目指す「実践」的な教育。
そこで培われた根性も、トップスターに辿り着いた理由のひとつのように思います。
真琴つばさの人気の理由は?かっこいい!
真琴つばささんは、宝塚歌劇団入団時の成績は正直言って下から数えたほうが早いような順位でした。
確かに、歌・ダンス・芝居、どれも唸るほどの実力派とは言いづらいところも。
しかし、宝塚のスターに最も必要なのは実力よりも「魅力」だと思います。
不器用そうでも一生懸命に体当たりしている姿は、それだけでファンの「がんばれ!」「可愛い!」という感情を引き出します。
そこに、個性や独自性が加わると「唯一無二の魅力」となります。
真琴つばささんはまさにそのようなスターでした。
それに加えて、都会的で洗練された圧倒的なビジュアル。
誰よりも努力家であることや、ファンへのサービス精神にあふれた優しいお人柄も含めて大人気のスターさんでした。
特に男役というのは舞台人の中でもかなり特殊な芸風を求められます。
真琴つばささんはご自身の都会的でクールなビジュアルを活かし、スーツの着こなしを深く研究されていたように思います。
退団直前に公演された『Practical Joke―ワルフザケってことにしといてくれよ―』では、その集大成が爆発していました。
その作品内で、気だるく歌いながらパパっとネクタイを締めてスーツのジャケットをバサッと羽織るだけの所作で私は完全ノックアウトされました(#^^#)
真琴つばさ:相手役は誰?退団はいつ?
真琴つばささんは、下級生時代はまず花組に配属され、入団9年目で月組に組替えとなります。
花組時代は他にスター候補がひしめき合っていたせいもあり、当時のトップスター、大浦みずき(おおうら みずき)さんの口添えでようやく1作品のみ新人公演主演を掴み取れました。
ご自身も「暗黒の時代」と語っていたらしたこともありました。
その後に月組に異動してから、『風と共に去りぬ』のスカーレット(ヒロイン)、『ミー・アンド・マイガール』でのジャッキー(女役)などへの挑戦が実を結び、1997年、トップスターに就任。
男役を極めるためにあえて女役に挑戦、というのも異色の経歴ですね。
前任トップスターである久世星佳(くぜ せいか)さんの相手役を務めていた風花 舞(かざはな まい)さんをそのまま相手役として迎えます。
その2年後に風花さんが先に退団し、次に相手役として迎えたのが檀れい(だん れい)さんでした。
檀さんはのちに「楊貴妃の再来」と言われたほどの美貌を誇っていましたので、圧倒的に美しいこのコンビはとても「宝塚的」でした。
舞台人としてはまだ不器用な檀さんをオモシロ頼もしく引っ張る、この真琴・檀コンビも人気を博します。
舞台上で魅力的に見えるように、キスシーンで真琴さんの腰に檀さんが手を回すタイミングなども、細かく口頭で伝えたそうですよ。
そして2001年に真琴つばささんは『愛のソナタ/ESP!!』にて退団。
檀さんは一旦専科に異動となり、その後、星組に組替えして湖月わたる(こづき わたる)さんの相手役も務めます。
真琴つばさ:宝塚時代のエピソードは?
真琴つばささんの宝塚時代のエピソードといえば、まずは「シューマッハ」でしょうか。
シューマッハはいわゆる「組内ユニット」のようなもので、月組の若手男役4人を引き連れて、テレビ番組に積極的に出演しました。
若手4人とは、77期の汐見真帆(しおみまほ)さん、78期の大空ゆうひ(おおぞらゆうひ)さん、80期の霧矢大夢(きりやひろむ)さん、そして81期の大和悠河(やまとゆうが)さんです。
なんて豪華な顔ぶれでしょう。
美しいビジュアルに反して面白トークに定評があった真琴つばささんはテレビ番組でも大ウケ!
「今のトップスターさんってこんな感じなの?!」と多くの人が驚いたと思います(笑)
そのときに真琴つばささんはソロでCDデビューもしていましたので、当時の宝塚歌劇団が真琴つばささんを激推ししていたことが分かります。
ミレニアムを迎える時代に真琴つばさという現代的なトップが売りになる、という意向だったのでしょう。
やはり宝塚のスターは実力が全てではない、ということですよね。
また、真琴つばささんの宝塚時代のエピソードでは、宝塚の劇場で2つもこけら落とし公演を務めたことも挙げられます。
そのうちのひとつ、東京宝塚劇場でのこけら落としイベントは元旦でした。
真琴つばささんをはじめ5組すべてのトップコンビが勢揃いして行われたテープカット。
寒風が吹きすさぶ中、着物と袴姿でテープカットを行っていた姿が印象的です。
トップコンビ勢揃いは大変に珍しいことではありますが、「トップさんたちに風邪引かせないでー!!」とたくさんのファンがヒヤヒヤしたことでしょう(笑)
真琴つばさ:天海祐希との仲は?
真琴つばささんが組替えした時の月組は、ちょうど天海祐希(あまみ ゆうき)さんのトップお披露目でした。
実は、天海祐希さんは真琴つばささんから見て2学年「後輩」になります。
トップスターに就任するタイミングは、平均的に見て入団13年目~15年目あたりです。
入団7年目でトップ、という超異例のスピード出世をした天海さんなので、このとき活躍していた2番手・3番手スターまでもが天海さんよりも先輩になります。
宝塚は、本人が「トップになりたいので、ならせてください」と志願するわけではなく、あくまで劇団指示にてトップスターが決まります。
つまり、天海さんの希望で入団7年目にトップスターに就任したわけではありません。
この「下剋上」とも言える事態は、天海さんご本人はもちろん、先輩方の心情としても複雑なものがあったはずです。
しかし、真琴つばささんは天海さんをひとりの舞台人として認め、天海さんが持つ「絶対的なスター性」をリスペクトしていたようです。
真琴つばささんは、天海さんとは『風と共に去りぬ』でも、レット・バトラーとスカーレットというカップルでしっかり組んでいます。
まだ舞台経験も少ないのにいきなり組を背負わされてしまい、戸惑う天海さんを近くで見ていた真琴つばささん。
人格者である真琴つばささんは、精神的にもしっかり天海さんをサポートされてきたように思いますね。
真琴つばさの現在は?事務所はドコ?圧巻の連続コンサート!
2001年に宝塚を退団し、舞台女優、シンガー、テレビタレントなど、本当に幅広いジャンルで活躍を続けている真琴つばささん。
現在の所属事務所は、エフ・スピリットです。
宝塚時代から独自性を発揮した唯一無二の人でしたが、その魅力は退団後も全く変わりません。
真琴つばささんの活動の中でも興味深いのが、コンサート。
退団した翌年から年に何度もコンサートやディナーショーを行い、そのそれぞれのタイトルはアルファベット順になっています。
退団後、最初のコンサートが「A」、その後、B、C、D…と続き、最後のXが2015年で完結。
つまり、アルファベット26文字分、26回コンサートを行ってきたということです。
そこで歌うためには新曲も必要になりますから、かなりの枚数のシングル・アルバムを発表していることも特徴的です。
退団後にこんなに新曲発表・コンサートを続けてきた宝塚OGはかなり少ないでしょう。
これは「ファンの皆さんと、役ではない自分でお会いしたい」という気持ちの表れのように感じます。
世間的に名シンガーという位置づけでなくても、やっぱりファンとしてはコンサートは最も嬉しい活動のひとつです。
相変わらずの爆笑トークもたっぷり堪能できますし、ファンの皆さんはとても嬉しかったでしょうね。
真琴つばさの舞台、テレビでの活躍は?プロデュース業も!
もちろん、真琴つばささんは舞台女優としても活躍されています。
真琴つばさの主な出演舞台
- 2003年・2015年『BLOOD BROTHERS』ナレーター
- 2007年~2011年『DREAM BOYS』
- 2008年『幕末純情伝』坂本龍馬 役
- 2014年・2017年『アダムス・ファミリー』モーティシア・アダムス 役
- 2022年『8人の女たち』マミー 役
バラエティー番組でもたくさんお見かけしますし、映画やドラマ、声のお仕事、本の出版などもされています。
先ほどお伝えした、精力的なコンサート活動ではセルフプロデュースにも挑戦し、演出面でも豊かな感性を表現されています。
ところで、男役さんは退団後に「性転換」という通過儀礼が待っています。
それまでは「いかに男らしく見せるか」だけを考え、研究してきた元男役の皆さん。
しかし、退団した翌日から女性である本来の自分として生きることになります。
そこで一気に「性転換」を行い、ロングヘアにしてふわふわのスカートを穿き、可愛らしいメイクをしてみせる元男役さんもいます。
そうなると、宝塚時代からのファンはその急な性転換についていけない現象が起こります。
しかし、真琴つばささんはその点に関しても本当にファン思いだなと感じます。
急ハンドルを切らずに、徐々にマイナーチェンジを行い、「ずっと変わらない素敵なマミさん」でいてくれる安心感。
そのような人間性も含め、本当にファン思いの稀有なエンターテイナーと言えるのではないでしょうか。
生き生きと仕事で輝く女性のお手本として、これからも活躍の幅をどんどん広げていってほしいですね。
まとめ♪真琴つばさ:結婚や現在は? 宝塚時代は何期生?同期や相手役は誰?人気の理由は?天海祐希との仲は?舞台やコンサートでの活躍は?
宝塚歌劇団の元トップスター真琴つばささんは、2001年退団以来独身です。本名は保川真名美で、愛称は「マミ」さん、身長168cm、生年月日は1964年11月25日です。トップスターを4人も輩出した伝説の期である71期生の一員です。
入団した時は下位の成績。不器用だが努力家でファンへのサービス精神にあふれ、スーツ姿も魅力的で、都会的で洗練されたビジュアルが人気のスターでした。
入団当初は花組、月組に異動して『風と共に去りぬ』や『ミー・アンド・マイガール』で女役にも挑戦し、1997年にトップスターに就任。
1000days劇場と東京宝塚劇場との2つのこけら落とし公演を務めました。『愛のソナタ/ESP!!』にて退団。
相手役は、風花 舞(かざはな まい)さんと檀れい(だん れい)さん。檀さんとのコンビ宝塚的で美しく、人気を博しました。
在団中は、若手男役のユニット、「シューマッハ」を率いてのテレビ出演やCDデビューも果たしました。
月組では、後輩の天海祐希(あまみゆうき)さんがトップスターに就任。天海さんを一人の舞台人として認め、リスペクトし、精神的にも近くで見守りました。
退団後、舞台女優、歌手、テレビタレントなど幅広く活躍していますが、特にコンサートでは、アルファベット順に26回開催し、新曲も多数リリースしています。
舞台女優として2003年から活動、テレビ番組や映画、本の出版も手がけています。ファン思いの真琴さんは、退団後も男役のイメージをキープしつつ、徐々に女性らしい姿に変化しています。
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