剣幸(つるぎみゆき)宝塚何期?天海祐希や涼風真世との仲は?結婚は?年齢、身長は?相手役は誰?

宝塚歌劇団月組の元トップスター、剣 幸(つるぎ みゆき)さん。

退団後もずっと舞台の最前線で活躍を続け、芝居も歌唱も大変に評価の高い女優さんです。

今や宝塚での大人気作となった『ME AND MY GIRL(ミー・アンド・マイガール)』。剣 幸さんはその初演で主人公のビルを演じた、レジェンド的トップスターでした。

涼風真世さんや天海祐希さんというレジェンドが勢揃いしていた時代、彼女たちとの絆はどんなものだったのでしょうか。

いろいろなエピソードと共に振り返っていきましょう!

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剣幸:天海祐希、涼風真世との仲やエピソードは?

剣 幸さんは月組の生え抜きスター。月組で育ち、月組でトップスターになりました。

当時の月組と言えば、涼風真世(すずかぜ まよ)さん、天海祐希(あまみ ゆうき)さんという大人気スターが勢揃いしていた華やかな組でした。

まず最初に、3名が在籍していた時代を少しおさらいしておきましょう。

【在籍期間】

  • 剣 幸:1974年~1990年
  • 涼風真世:1981年~1993年
  • 天海祐希:1987年~1995年

剣 幸さんと涼風さんは9年間、剣 幸さんと天海さんは3年間を一緒に過ごしていることが分かります。

涼風さんはまだしも、本来ならばトップスターと下級生(若手)がたった3年ではそこまで話す機会もないことが一般的です。

しかし、さすがに天海さんは別格!

入団1年目でいきなり『ME AND MY GIRL』新人公演の主演に大抜擢されており、そこで剣 幸さんから芸の第一歩をみっちり教わっています。

涼風さんも一般的な路線スターよりもずっと早い出世コースだったので、一足飛びで抜擢を受け続ける天海さん同様、舞台に対してまだ自信が持てない期間はあったでしょう。

経験がまだ浅いその若い2人を剣 幸さんがしっかりと導くことができたのは、剣 幸さんの器の大きさ、人柄の良さゆえのことだったと思いますね。

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剣幸:ME AND MY GIRLのヒットと受け継がれる伝統

さきほど天海祐希さんと『ME AND MY GIRL』の話が出ましたが、『ME AND MY GIRL』の主人公ビルは剣 幸さんの当たり役!

主人公のビルはタカラジェンヌのイメージとは少しかけ離れた、お世辞にも上品とは言えないキャラクター。

それを宝塚ならではの気品も残しながら見事に演じてみせ、さらに1年間も演じ続けるという異例の好演となりました。

ビルも相手役のサリーも、人々の記憶に残る名場面がたくさんあり、今に至るまで不動の人気を誇り、宝塚のお家芸のひとつになっています。

「ミーマイ」の略称でも親しまれ、タカラジェンヌなら一度は出演してみたい作品ではないでしょうか。

特に『ME AND MY GIRL』の主人公ビルは、帽子をくるくると回したり、被ったり脱いだりする難易度の高い演出がたくさんありました。

トップスターでも帽子の扱いにとても苦労するのに、ましてやそれに入団1年目の天海さんが挑戦するのは、とんでもなく高いハードルでした。

と同時に、それをみっちり教え込んだ剣 幸さんもスゴイ!

ちなみに、天海さんがトップスターに就任したあと、再び『ME AND MY GIRL』を公演することに。

当時の新人公演主演を務めた水 夏希(みず なつき)さんに、天海さんが剣さんにしてもらったように、丁寧にすべてを教え込んだそうです。

こうして、剣 幸さんのビリーが、宝塚で脈々と受け継がれてきたのですね。

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剣幸:年齢、本名、芸名や愛称(あだ名)の由来は?

剣 幸さんの生年月日は、1954年3月2日本名は赤田明美さんです。

愛称は「ウタコ」さんです。由来は、「京唄子さんに似ているから」(笑)

そんなに似てないような気がしますが…(^^;)

「剣 幸」という少し珍しい芸名の由来は、ご出身である富山県を代表する山、剣岳から。高校の恩師からもらったそうです。なかなかセンスがいいですよね!

女性には珍しく、建築学を学びたいということで工業高校に入学。その高校の恩師だそうです。

しかし、机に座って図面ばかり書く日々が「向いていない」と感じ、体を動かす仕事をしたいということで宝塚受験を決心したのだそう。

とはいえ、なんの芸事もやってこなかったので、宝塚音楽学校の受験では不合格を確信し、合格発表にも行かなかったとか!

試験官が椅子から転げ落ちるほど、受験では酷い歌唱だったそうです(笑)

名シンガーとなった今では考えられないですが!

「念のため」とお母様が確認しに行くとまさかの合格。入学式に遅刻して参加したそうです(^^;)

でも、よほど光るものをお持ちだったのでしょうね。

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剣幸:身長、宝塚何期?同期は誰?大浦みずきさんとの絆

身長は162センチ。男役の中では当時としても小柄なほうに入りますね。

1974年に宝塚歌劇団60期生として入団。初舞台は星組・花組合同公演だった『虞美人』です。

現在では組の合同公演はありませんので、「そんな時代があったんだ!」とちょっと驚きですよね。

同期生は、こんな面々です。

  • 大浦みずき(おおうら みずき)/元花組トップスター
  • 遥くらら(はるか くらら)/星組・雪組 元トップ娘役
  • 磯野千尋(いその ちひろ)/元花組組長・専科

遥くららさんは、高い演技力で娘役ナンバーワンと言われた方です。

やっぱりなんといってもダンスのレジェンド、大浦みずきさんをも輩出している学年ということがトピックスですね!

大浦みずきさんは宝塚のフレッド・アステアと言われた名ダンサーでしたが、残念ながら2009年に53歳という若さでご他界なさっています。

その葬儀では、同期代表として剣 幸さんが弔辞を読んでいます。

お2人は同期生の中でもトップスターという重責を担った者同士、理解し合えることも多かったのでしょう。

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剣幸:歌唱力・ダンス・芝居は?宝塚時代の代表作は?

さきほど「名シンガー」とご紹介しましたが、剣 幸さんといえばやっぱりまずは高い歌唱力が浮かびます。

長い歴史を持つ宝塚の中で、在団中にCDデビューを果たしたスターは一握りです。剣 幸さんはその中のお一人。

しかも、劇団内からのプッシュではなく、著名な作曲家である、いずみ たく氏からのプッシュというのがすごい!

いずみ たくさんは、坂本 九さんの『見上げてごらん夜の星を』や、ザ・ドリフターズの『いい湯だな』など、国民的名曲の数々を作った偉大な作曲家です。

そんな作曲家に歌唱力を認められてCDデビューをするなんて、歌唱試験で試験官が椅子から転げ落ちた人とは思えないですよね(笑)

しかも、CDを出したのはトップスター就任前。

トップスターを含め、当時の宝塚に在籍しているスターの中でも剣 幸さんが飛びぬけて歌唱力が高かった証拠でしょう。

また、剣 幸さんは歌唱力だけではなく、演技力の高さも群を抜くものをお持ちでした。

「芝居の月組」と言われているほど、月組は芝居に力を入れている組として有名ですし、現在でもその伝統は守られ続けています。

剣 幸さんの退団公演は『川霧の橋 / ル・ポアゾン 愛の媚薬』。『川霧の橋』は演技力が求められる日本物で、今も再演され続けています。

なにより初演の『ME AND MY GIRL』が剣 幸さんの代表作として有名ですね。

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剣幸:こだま愛との仲は?退団はいつ?エピソードは?

下級生時代からエリートコースど真ん中で活躍を続け、そのまま月組トップスターとなった剣 幸さん。

相手役はこだま愛(こだま あい)さんです。

お2人は同時にトップに就任し、同時に退団しています。トップコンビが同時に退団することを「添い遂げ退団」と呼びますが、これはやはりとても絆が深い証拠。

娘役トップの方が、トップスターの退団の意向を聞いて「では私もご一緒に」と心を決めるパターンがほとんどだと思います。

つまり、「私の王子様はあなただけ、あなた以外は考えられない」という意思の表れです。

確かに、歌も芝居もダンスもトップレベルでこなせる技術力の高さもお2人はピッタリでしたし、剣 幸さんの温かいお人柄もあって素晴らしい相性のコンビでした。

退団の記者会見もお二人並んで同時に。ネイビーのリンクコーディネートでした。

お2人の退団公演は1990年『川霧の橋/ル・ポアゾン』。

退団公演は華々しい作品が選ばれることが多いのに、『川霧の橋』は江戸の渋いお話です。

江戸時代の物語というのは、抑えた演技で説得力を持たせなければいけないので、とても難易度が高いと言えます。

それを退団公演にわざわざ持ってきたというのは、剣さん・こだまさんの実力の高さを見込んで、という理由でしょう。

ご本人たちも、『川霧の橋』が退団公演と聞いた時に「最後になんて難しいものを…!」と驚いたそうです(笑)

ところで、退団公演の千穐楽では、楽屋から出てきたスターをファンがずらりと沿道に並んで最後の姿をお見送りします。どんな荒天でも整列してじっと待っています。

剣幸さんのその時の映像をみたことがあるのですが、温かな晴れやかな笑顔でファンの間を歩き始めると、車椅子の女性ファンを見かけて、さっと近づいて声をかけていました。

舞台姿だけでなく、お人柄も素晴らしいと感じさせるエピソードでした。

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剣幸:退団理由はなぜ?事務所はどこ?声優としても活躍!

お2人のトップ在任期間は5年間でした。平均は3年程度と言われているので、それだけ長い間、月組人気を支えられるコンビだったという証拠ですね。

最終的に次期トップスターとなったのは涼風真世さんでしたが、涼風さんの他に2名のスターが次期候補としていらっしゃいました。

その3名の中で涼風さんが最も下級生だったので、涼風さんの成長を待つためにも5年間必要だったという背景もあったかもしれませんね。

1990年に宝塚を退団した剣 幸さんは、すぐに舞台女優として活動を始めます。

所属事務所はオフィス・エイツー。元トップスターが所属する事務所としては、アットホームな感じの事務所のようです。

とはいえ、歌も芝居もなんでもできる剣 幸さんですから、大手事務所でなくてもオファーはひっきりなし。

ミュージカル、ストレートプレイはもちろん、定期的にコンサートやディナーショーも開催されています。

その中でも特筆すべきは、声のお仕事。

美声を活かして、アニメやゲームの声優のお仕事をたくさんされています。

その中でも有名どころはディズニーアニメ『塔の上のラプンツェル』のマザー・ゴーテル役でしょうか。

他にもナレーションやラジオなど、声で表現されるお仕事をたくさんされています。

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剣幸:結婚は?現在の活躍は?『エリザベート』ゾフィー役やタンゴシンガー

気になるご結婚はというと…今も独身のままのようですね。

退団後もずっと第一線で有名作品に出演を続けていらっしゃる元トップスターは、独身者が多い印象です。

剣 幸さんの場合は、本当は新人公演を卒業したあたりで寿退団を、という考えがあったようです。

しかし、そのお相手が事故で亡くなってしまったというご不幸があったそうで……。

そのお方が、今も剣 幸さんにとってたった一人の愛する人なのかもしれませんね。

近年では大人気ミュージカル『エリザベート』でのゾフィー役をされていますし、テレビドラマにもよく出演されているので、本当に大忙しの剣 幸さん。

個人的な感想では、タンゴのリサイタルに出演された際に、圧倒的な歌唱力に本当に驚いたことをよく覚えています。

タンゴは「芝居歌」と言われるほど表現力が肝心で、ただ歌が上手いだけでは歌いこなすことができません。

日本人でタンゴを見事に歌いきれるシンガーがどれだけいるか……という中で、剣 幸さんの表現力はずば抜けていました。

音楽学校では試験官が椅子から転げ落ちていたのに(笑)、相当な努力をされたということ。

今後も超実力派舞台人として、どんどん活躍を続けてほしいですね。

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